悩み多き30代OLの日常

のんびりマイペースに日々の生活を淡々と。

行司に学ぶ仕事のやりがい

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「はっけよーい! のこった! のこった!」

 

 

大相撲中継を見ていた時、ふと思った。

相撲をとる力士の間で、軍配を持ち、取り組みを裁く「行司」。

彼らは普段、力士たちが稽古に励んでいる間、何をして過ごしているのだろう。

 

本番で良い声を出すための発声練習? 際どい勝敗を正確に見極めるための特訓? もしかして普段は全く違う仕事をしているダブルワーカー?

 

 

 

調べてみると、その仕事内容は多岐にわたるものだった。

 

例えば力士の番付と四股名がびっしりと書かれた「番付表」を作成するのも行司の仕事だ。番付表は相撲字と呼ばれる独特な書体で書かれている。行司は数年かけてこの相撲字を習得する。そして新しい番付が決まると、書き手となった行司は10日間かけて1枚の番付表を書き上げる。

 

また場所中であれば、場内アナウンスや翌日の取り組みを決めるのも行司の仕事だ。審判部と協議して、前日までの力士の星取表を見比べながら、より観客が盛り上がる取り組みを考える。

 

その他にも地方巡業の時の会計や力士の冠婚葬祭のイベントの事務作業など、行司は相撲界の総務課的な役割も担っている。

 

 

 

なんだか自分の姿と重なった。

 

私は小さな会社の事務員として働いている。

総務や経理を兼務しているため、幅広い業務をこなさなければならない。

会社には力士のように表舞台で戦う営業や技術職の人たちがいる。彼らがなかなか仕事をしてくれない時には、行司が「はっけよい!」と動きの止まった力士に戦いを促すように、「早くしてくださいね!」と発破をかけることもある。

 

しかし事務員というのは、なかなかその仕事が評価されないことも多い。営業や技術職の仕事が、営業成績や売り上げにはっきりと表れるのに対して、事務員の仕事はその成果を数字で表すことができない。昇進も基本的には年功序列だ。

時々、何をやりがいとして働けばいいのかわからなくなることがある。

 

 

 

行司も年功序列の世界だ。

 

力士であれば、先輩後輩関係なく実力で番付の上位にのし上がっていくことができる。しかし行司は、例外はあるものの原則として1日でも早く入門した人が上位となり、その関係は半永久的に変わらない。

 

そのうえ行司は、相撲部屋に所属し力士たちとともに団体生活を送る。同年代の若者たちが楽しく遊んでいるなか、プライベートな時間はほとんどない。夢を抱いて入ってきても、厳しい規制や理不尽な生活に耐えられず辞めていく人も多いという。

 

 

その生活をどうやって乗り越えるのか。

 

約50年間の行司生活を送った三十六代木村庄之助は、著書『大相撲 行司さんのちょっといい話』でこう語っている。

 

 

「まずは、1日でも早く先輩の仕事に追いつくよう、自分自身を磨くこと。相手に闘争心など見せる必要はありません。「心のライバルを持つこと」で、自分を奮い立たせるのです」

 

 

 

自分自身を磨く。

 

わかっているようで、なかなか出来ないことだ。

私はよく他人と自分を比較してしまう。悪い癖だとわかっていても、ついつい「あの人は私より仕事をしていないくせに……」と考えてしまう。しかし、そこから得られるものは何もない。

 

自分自身を見つめ、どんな仕事をしたいのか、どんな自分になりたいのかを考えてみると、浮かんでくるライバルは弱い自分やだらしない自分だった。そんな自分に打ち勝つことで、自分自身を磨いていくことができるのかもしれない。

 

 

 

また木村庄之助はこうも言っている。

 

「自分の中では正論と思っても、この世界では通らないこともたくさんあります。それをどうとらえるのかは本人次第なのでしょうが、行司の場合、「相撲が好き」ということが、この世界で生きていくための基本中の基本になります。その気持ちを忘れなければ、いろいろなことを乗り越えていけるのではないかと、私は思っています」

 

 

思い出した。私は会社に愛着をもっている。一緒に働いている人たちのことも好きだ。

この会社で働く人たちが、もっと快適に働けて、スムーズに仕事を進めることができるように全力でサポートしていきたい。それが私の基本中の基本だった。

 

面倒なことを押し付けられたり、思うように評価されなかったり、理不尽なこともたくさんあるけれど、会社が成長するための土台をつくっていくことが、私の選んだ仕事のやりがいだ。

 

 

 

行司の仕事が相撲界に必要不可欠であるように、私の仕事も会社にとって必要不可欠だ。そのことを誇りに思い、今日も「はっけよい!」と自分自身を奮い立たせて、元気に働きたいと思う。

 

 


 

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人間関係がふわりと軽くなったひとつの行動

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「あのおじいさん、そんなに悪い人じゃないのかも」

 

 

マンションの同じ階に住むそのおじいさんは、とてもおしゃべりだった。

私に対してもエレベーターで会うたびに「最近仕事は忙しいの?」と話しかけてきた。「まだ結婚しないの? 選びすぎなんじゃないの?」と言われたときは、さすがに温厚な私もイラっとしたが、まあ悪気はないのだろうと聞き流していた。

 

 

しかし母は違った。

 

 

「あのおじいさん、いつも人の家のことを根掘り葉掘り聞いてくるのよ。ほんと、デリカシーがない!」

 

母はそのおじいさんのことを、ひどく嫌っていた。

 

 

 

ところが、そんな母がおじいさんのことを上機嫌で話している。

理由を聞くと、それはとても些細なことだった。

 

 

「あのおじいさんがね、私のこと全然60代に見えない、若いって言うのよー。もう、ほんとに口がうまいんだから」

 

 

え! ウソでしょ!? たったそれだけで!?

あんなに嫌っていたおじいさんを、たかが一回褒められただけで許せるものだろうか?

 

しかし思い返してみると、私にもそんな経験があった。

苦手だと思っていた上司から「よく頑張ってるな!」と仕事ぶりを褒められた。

 

 

「なんだ、あの人私のことちゃんと見てくれていたのか」

 

 

自分でもなんて単純なのだと呆れるが、それまで苦手に感じていた上司が急に良い人に思えた。

たった一言褒められただけで、それまで張りつめていた気持ちが、ふわりと軽くなった。それはまるで部屋で優しい香りのアロマを焚いたときのように。

 

 

私も誰かにアロマを焚いてあげたい!

 

 

それからというもの私は積極的に人を褒めるようになった。

 

 

 

「Tくん以前と比べてすごく成長したよね! 皆も褒めてたよ!」

 

最近元気がないと感じていた後輩のTくんを褒めた。するとTくんの表情がぱっと明るくなった。

 

「ありがとうございます! ちゃんと役に立てているか不安だったんです。もっと頑張ります!」

 

聞けばTくんは怒られることはあっても褒められることがなかったため、自分の仕事に自信が持てずにいたらしい。それからのTくんは、以前よりさらに仕事を頑張るようになり、メキメキと実力を伸ばしていった。どうやら褒められて伸びるタイプだったらしい。

 

 

 

先輩Iさんは、最近仕事が立て込んでいてピリピリしている。周りも話しかけにくそうだ。

私は書類をもっていった際、Iさんをさりげなく褒めた。

 

「Iさんってすごいですよね。どうしたらそんなアイデア思いつくんですか?」

 

すると、しかめ面だったIさんの表情がみるみる柔らかくなり「いやいや、そんなことないよ」と照れ臭そうに笑った。気持ちにも余裕ができたのか、周囲と雑談を交わすようになり職場の雰囲気も良くなった。すごい! 効果絶大だ。

 

 

 

しかし私にとって最大の難関が立ちはだかる。

トイレでばったりKさんに会った。

Kさんは私より15歳年上の女性だ。良くも悪くも思ったことをストレートに伝える性格で、打たれ弱い私はKさんのことが苦手だった。Kさんもその空気を察してか、仕事以外で私に話しかけてくることはなかった。

 

そんな関係を少しでも改善したい! 私は勇気を出してKさんを褒めた。

 

「Kさんっていつもオシャレですよね!」

 

Kさんは一瞬戸惑った表情を見せたが、すぐに笑顔になりこう言った。

 

「ありがとう。あなただっていつも可愛いワンピース着ているじゃない」

 

2人の間に優しい空気が流れた。

それから私はKさんと、時々ファッションの話をするようになった。あの時勇気を出して本当に良かった。

 

 

 

人は誰でも、自分を認めてほしいという「承認欲求」をもっている。

褒めることは、相手の承認欲求を満たす行為だ。

しかし年を重ねるにつれて、人から褒められる機会は減っていく。

 

20代の時に「そんなことをやって偉い!」「そんなことが出来てすごい!」と褒められていたことが、30代では「そんなこと、やって当然」「出来て当たり前」へと変わっていく。

周りに年下が増えてくれば「かわいいね」なんて、容姿を褒められることもなくなっていく。

 

だからこそ、減った機会は自分から作ればいいのだ。

人を褒めると、相手から「あなただって……」とお返しの褒め言葉をもらえることがある。意外な相手から意外な褒め言葉をもらうと、その人との距離がぐっと縮まる。

 

人を褒めるということは、相手を知り、相手を認めるということだ。お互いを認め合えば、人間関係はふわりと軽くなる。

 

苦手だなと思っているあの人のために、勇気を出して優しい香りのアロマを焚いてみてはいかがだろうか。

 


 


 


 

京都ひとり旅リベンジマッチ

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仕事を辞めた。ひとり、旅に出た。行き先は京都だ。

 

私が京都をひとりで旅するのは、これが初めてではない。

10年前。人生で初めてのひとり旅で訪れたのが京都だった。

 

しかし、その旅にはあまり良い思い出がない。どうしてひとり旅なんかしてしまったのだろうと後悔したほどだ。

そんな苦い思い出を払拭し、ひとり旅を楽しめる大人の女性になるため、私は再び京都へと旅立つことを決めた。

 

 

 

これは私の京都ひとり旅リベンジマッチだ。

 

 

 

リベンジを果たすべく、まずは前回の旅の敗因を振り返る。

 

初めてのひとり旅で必要以上に気合が入っていた私は、とにかく予定を詰め込んだ。

 

清水寺金閣寺、二条城などの有名どころを片っ端から回れるよう綿密に計画を立てていた。

食事にしてもご当地グルメを堪能するべく、数々の有名店を予定に組み込んだ。

 

しかし京都に到着し、実際に自分の組んだ予定通りに回ってみると、かなりのハードスケジュールになった。1か所に滞在した時間もわずかだったため、どの名所もあまり印象に残っていない。

 

さらに、あんなに楽しみにしていた食事でさえ「全然お腹すいてないな……。あー今はこれ食べる気分じゃないんだけどな……」と感じながらも、予定が狂ってしまうことを恐れ、無理やり口に押し込んだ。

 

皮肉にも自分が立てた予定に振り回され、終わってみれば疲れ切った体と味の薄い思い出だけが残っていた。

 

 

 

そのことを踏まえ、私は今回のリベンジマッチに3つのルールを設けた。

1.旅のテーマを決めること

2.事前のリサーチは綿密におこなうこと

3.予定は立てず、とにかくその時の気分で動くこと

 

 

 

まずは旅のテーマだ。

何をもってこの戦いの勝利といえるのかを決める必要がある。

 

 

私が今回の旅に求めているのは「癒し」だ。

 

 

仕事を辞めたばかりの私の心は疲れていた。刺激など一切必要ない。ただただ癒されたいのだ。

この旅を終えたとき「最高に癒された!」そう感じていれば、私の勝利だ。

 

 

 

次にリサーチをおこなう。

 

行ってみたい寺社仏閣の場所、所要時間、歴史。各地域のランチ、ディナー、軽食、スイーツまで、予定は組まないが当日どこに行きたくなっても対応できるよう、リサーチは綿密におこなった。

 

 

 

事前準備をすませ、ついに2泊3日のリベンジマッチのゴングが鳴った。

 

 

 

博多を出発して新幹線で2時間44分。京都に到着したのは昼過ぎだった。

 

ホテルのチェックインまでには時間があるため、駅のロッカーに荷物を預け昼食をとることにした。

 

自分自身に問いかける。

 

「さあ、お前は今何が食べたいんだ?」

 

 

「……鴨鍋だ!」

 

 

私は事前にリサーチしていた鴨鍋のお店に向かった。京都駅からは少し離れていたが、このあとの予定は未定だ。何の問題もない。

 

鴨川を眺めながら食べる鴨鍋は最高だった。昼間からビールも飲んだ。平日だったこともあり、私は今、日本で一番自由な人間ではないかと錯覚するほどだった。

 

 

 

ほろ酔いで店を出ると、近くの八坂神社まで歩いた。

平日とはいえ八坂神社は人気スポットのため、観光客であふれかえっていた。

 

「よし……やめよう!」

 

今回の旅のテーマは「癒し」だ。人ごみに行って疲れるようなことはしたくない。

 

私は来た道を引き返した。花見小路というお茶屋の家並みが続く情緒あふれる小路を抜けて京都駅に戻り、早々にホテルにチェックインした。

 

少しだけ仮眠をとると、お腹がすいてきた。再度自分に問いかける。

 

「さあ、次は何が食べたい?」

 

 

「……鴨だ!」

 

 

私は昼に食べた鴨鍋で、すっかり鴨のとりこになっていた。私はその後、鴨南蛮そば、鴨のたたき、鴨ロースト、鴨ステーキと旅の食事のほとんどを鴨に捧げることになる。

 

こんな自分勝手な食事ができるのも、ひとり旅の醍醐味だ。

 

 

 

2日目の朝。目が覚めた私は思った。

 

 

「そうだ貴船、行こう」

 

 

貴船神社は、京都の中心部から電車とバスを乗り継ぎ1時間半ほどのところにある。華やかさはないものの、自然に囲まれていて「癒し」というテーマにぴったりのスポットだ。

 

朝早かったこともあり、境内には人がまばらで静かにお参りすることができた。

貴船神社の横を流れる貴船川では、川床と呼ばれる清流の上に設置された座敷で飲食を楽しむことができる。ザーッと流れる清流の音を聞きながら抹茶ラテを飲む。

何時間でもここにいたいと思えるほど、最高の癒しスポットだった。

 

貴船をあとにした私は、瑠璃光院、下鴨神社をたっぷりと時間をかけて巡った。お腹がすけば、食べたいものを、食べたいときに、食べたいだけ食べた。

何にも縛られることなく、気の向くままに京都の町を堪能することができた。

 

 

 

そして最終日。

 

私は京都駅近くのマッサージ店にいた。

慣れない土地での移動や、枕が変わって熟睡できていなかったこともあり、私は疲れていた。以前の私であれば、疲労困憊の体にむち打って残りの観光スポットを巡っただろう。

 

しかし、今回は違う。

目が覚めて疲れを感じた私は、即座にマッサージの予約をした。疲れた体を甘やかす。そして昼食には、とどめの鴨を叩き込む。

 

 

最高だ。

 

 

新幹線の出発時刻までは、京都駅から徒歩で行ける東本願寺にいた。

お堂に座り、そこから見える京都タワーをぼんやりと眺めながら、今回の旅を振り返っていた。

 

巡った観光スポットは、たった4か所。味わった名物は、ほぼ鴨。人から見れば、とんでもなくもったいない旅かもしれない。しかし私の心は満たされていた。

 

 

「あー最高に癒された!」

 

 

私はこのリベンジマッチに完全勝利した。

 

 

コロナが終息し他県への往来が自由にできるようになったら、またひとり旅を楽しみたいと思う。ただひたすらに、わがままに。

 

 


 


 

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地味な私がWebデザイナーを目指した話

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特徴のない薄い顔。

低い身長に、ボンキュッボンとは程遠い体型。

好んで着る服の色は、白、黒、ベージュ。

性格はおとなしくて真面目。

 

私は、地味だ。

 

そんな私が、事務職として勤めていた会社を辞めて目指したのは、Webデザイナーという職業だった。

華やかな世界への憧れ。自分を変えたいという願望。

その気持ちだけを胸にWebデザインスクールの門をたたいた。

 

その教室には10代の大学生から50代の経営者まで、様々な経歴と肩書を持つ人たちが通っていた。私と同じように、会社を辞めてWebデザイナーへのジョブチェンジを考えている人も多かった。

 

デザインという分野を目指す教室だけあって個性的な人が目立つ中、ひときわ目を引くYちゃんという女性がいた。

外国人のような彫の深い顔。170センチ近くある長身。真っ赤なジャケットを華麗に着こなすその姿は、どこをとっても私とは正反対だ。

 

そんなYちゃんと私はなぜか気が合い、仲良く授業や課題に取り組むようになった。

 

彼女の作った課題は、どれも個性的だった。たとえ無記名だとしても、すぐにそれが彼女のものだとわかるほどに。

それに比べて私の作るものは、どれも生真面目で遊び心に欠けている。良く言えばシンプル、悪く言えば地味。ぼんやりとしたデザインには、どこか自信のなさが感じられる。

私は次第にYちゃんに対して劣等感を抱くようになる。

 

 

地味コンプレックスだ。

 

 

授業が進んでも自分の作るものに自信を持つことができず、地味コンプレックスを抱えたまま卒業制作の時期が訪れた。

この教室では、卒業制作として1人1点Webサイトを作成し、皆の前でプレゼンを行う。

 

私は知り合いの経営するお店のWebサイトを作成することにした。

このお店では、海外から輸入した洋服や雑貨を販売している。店内にはカフェを併設しており、何時間でも居たくなるような落ち着いた雰囲気だ。

 

私は覚えたてのカメラで、店内や商品の写真を何十枚も撮り続けた。

撮影した写真の中から、これだと思うものを数点選び、ああでもない、こうでもないと何度もやり直しながらWebサイトのデザインを作成する。

デザインが決まったら、自分の作成したデザインがWeb上で正しく表示されるようにプログラミングしていく。

 

提出期限が迫り、最後は徹夜もしながら約1か月かけて卒業制作が完成した。

 

 

 

そして運命のプレゼンの日が訪れた。

プレゼンは、学校関係者だけでなく、特別審査員として招かれた現役のデザイナーやディレクターたちの前で行う。優れた作品であれば企業からスカウトされることもあるが、合格点に達していなければ辛辣な意見を投げかけられることもあるという。

 

トップバッターはYちゃんだ。

彼女が作ったWebサイトがスクリーンに映し出されると「わぁ」と歓声が上がった。

今まで見たことがないような個性的なデザインには、所々にユーモアが散りばめられており見る人を飽きさせない。やっぱりYちゃんはすごい。

審査員からの評価も上々だった。

 

次々とプレゼンは進み、ついに私の番がやってきた。

私は震えていた。今まで人前でプレゼンなどしたことがない。さらにYちゃんのプレゼンを見たことで、私の地味コンプレックスはさらに増していた。

 

 

「どうしよう……頭が真っ白だ……あーもう、どうにでもなれ!」

 

 

私は覚悟を決めた。

何度も言葉に詰まりながら、制作期間の苦労や、このWebサイトを作ったことでお店を訪れる人が1人でも増えてほしいという想いを、時間いっぱい伝えた。

 

 

すると、1人の審査員からこんな言葉をもらった。

 

 

「このWebサイトは、見た目がシンプルだからこそお店の雰囲気がよく伝わってきます。それに正確にプログラミングされていて、中身がしっかりとしたサイトだと思います」

 

 

嬉しかった。

 

褒められたのはWebサイトなのに、地味で真面目な自分自身を認められたような気持ちになった。

そしてプレゼン後、私は2社の企業からスカウトをいただき、晴れて夢のWebデザイナーになることができた。

 

地味だからこそ、主役を際立たせる名バイプレイヤーになれる。

地味だからこそ、人知れずコツコツ努力することができる。

そしてそれを認めてくれる人に出会うことができる。

 

地味に生きるのも悪くない。

 

私はこの日を境に、地味コンプレックスを捨てた。

 

 

あれから10年。

 

私はWeb業界を離れ、地元の小さな企業でマイペースに働いている。

Webデザイナーとして働いていた時の地味な仕事ぶりが評価され、知り合いから「新しく立ち上げる会社の経理を担当してくれないか」と誘われたからだ。

Webデザイナーの仕事に多少の未練はあったものの、名バイプレイヤーとしての血が騒ぎ、私はこのオファーを快諾した。

 

一方Yちゃんは、着々とWebデザイナーとしてのキャリアを積み重ね、現在は東京の大手プロモーション会社でバリバリ働いている。

 

相変わらず正反対な2人だが、今でも仲は良い。

 

私は彼女を尊敬しているし、彼女はいつも「自分にないものをたくさん持っている」と私のことを褒めてくれる。

 

正反対な2人が仲良くいられるのは、お互いの個性を認め合っているからなのかもしれない。

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かめはめ波の使いみちについて考える

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寝る前に考えるのは、たいてい悪いことだ。

 

その日あった嫌なことや、次の日の仕事のこと。考え出すと止まらなくなり「あー!もー!嫌だ!」と無理やり考えることをやめるか、考えることに疲れて、いつの間にか眠っている。

 

 

子どもの頃は違った。

 

「もしも魔法が使えたら」

「もしも宝くじが当たったら」

「もしも透明人間になったら」

 

ワクワクするような妄想をすることが、一日の最後の楽しみだった。

しかし妄想力豊かな私でも、唯一ワクワクできなかったことがある。

 

 

 

「もしも、かめはめ波が使えたら」

 

 

 

多くの方はご存知だろう。漫画ドラゴンボールに出てくる、両手首を合わせ「かーめーはーめー波―!」の掛け声と同時に、手のひらから光を放出し敵を倒す、あれだ。

その威力は凄まじく月をも破壊する。

 

かめはめ波に憧れる人間は少なくない。

 

インターネットで検索すると、かめはめ波の撃ち方や練習方法を記したページが、数多くヒットする。なかにはYahoo知恵袋で「現代の技術で何とかかめはめ波を作れないか」と質問する猛者までいる。

 

多くの人間を魅了するかめはめ波だが、私は「もしも、かめはめ波が使えたら」と妄想したとき、恐怖に震えた。

 

 

 

まず考えてほしい。手のひらから大量の光が出るのだ。体にかかる負担を考えると、病院に行かなくてはいけない。

 

その場合、何科を受診すればよいのだろう。皮膚科?整形外科?まずは内科を受診した方がよい気もする。

 

しかし病院に行ったところで、この症状を何と伝えればよいのだろう。

 

 

 

「手のひらから強い光が出ます」

 

 

 

医者はこう言うだろう。

 

 

 

「実際に見せてください」

 

 

 

それはできない。月をも吹き飛ばす威力だ。多少加減したとしても、実演が終わる頃には病院は跡形もなく消えているだろう。

 

精神的な負担を考えると、心療内科に通う必要も出てきそうだ。

 

 

 

次に考えるのは、かめはめ波が使えるという事実を、公表するかどうかだ。

 

一人で抱え込むには、あまりにも問題が大きすぎる。しかし安易に人に話せば、噂というのは瞬く間に広まる。周囲から警戒され、街を歩くことも困難になるだろう。

 

親に話すのも控えた方がいい。「こんな体に産んでしまって……」と母親が自分を責める可能性があるからだ。

 

話すのは口の堅い、信頼できる友人、三人だけだ。

 

 

 

「見てほしいものがある」

 

 

 

そう言って、街から遠く離れた人気のない山へと連れていく。

友人たちは、私がかめはめ波を使えると知ったら何と言うだろう。軽蔑されたらどうしよう。私は今日、大事な友人を失うことになるかもしれない。道中、口数の少ない私を、友人たちは心配するだろう。

 

山に着くと、周囲の安全を確認し、大きな岩に向かって、私はできる限り小さなかめはめ波を撃つ。

 

 

 

「かーめーはーめー……波っ!」

 

 

 

私の手のひらから岩に向かって、一直線に青い光が放出され、大きな岩は爆発音とともに木端微塵に砕け散る。一瞬の出来事だ。

 

皆、言葉を失う。腰を抜かしている者もいる。パラパラと小石が崩れる音だけが響いている。

長い沈黙のあと、友人の一人が意を決して立ち上がる。

 

 

 

「使いみちを考えよう」

 

 

 

私たちは家に帰り、思いつく限り意見を出しあう。

 

・敵を倒す→殺人罪になる。

・YouTuberになる→CGだと思われ飽きられる。

・解体工事を手伝う→無難だが、もったいない気もする。

・びっくり人間コンテストに出る→有名になり悪い組織に目を付けられる可能性がある。

・温泉を掘る→土地、権利、設備等の初期費用がかかりすぎる。

・世界を滅亡させる→絶対ダメ。

かめはめ波教室を開く→誰もかめはめ波を習得できなかった場合、詐欺罪で訴えられる可能性がある。

 

 

一晩中考えても答えは出ない。

 

 

世間に公表すれば、有名人になり大金を稼げるかもしれない。

 

しかし、そんな幸せは一時的なことのように思える。有名になった私に近づいてくる人の中には、私のかめはめ波を悪用しようとする人もいるだろう。もっとも避けなくてはならないのは、かめはめ波が軍事利用されることだ。

 

 

私は友人たちに、かめはめ波を封印することを誓うだろう。これは四人だけの秘密にしておこうと。

 

 

誰にでも特技や才能がある。

 

それは生まれもったものかもしれないし、努力して習得したものかもしれない。人に自慢できるようなものかもしれないし、特技とも言えない些細なものかもしれない。

 

どんな特技や才能も、使いみちは自由だ。

 

私利私欲のために使うこともできるし、使わずに捨ててしまうこともできる。

 

けれど、皆が自分の特技や才能を、誰かのために使おうと思ったら、世界は少し平和になるのかもしれない。

 

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浅倉南に学ぶ最強の恋愛テクニック

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上杉達也浅倉南を愛しています。世界中の誰よりも」

 

主人公・上杉達也(通称:タッちゃん)は、幼馴染の浅倉南に自分の想いを伝えたあと、事故で亡くなった双子の弟・和也の代わりに、甲子園優勝という夢を実現する。


1981年から1986年に連載された、名作野球漫画『タッチ』のラストシーンだ。

 

兄弟の絆、幼馴染との恋愛、部活仲間との友情……すべての青春要素が詰め込まれたこの漫画を、高校生の私は古本屋で全巻購入し、何度も読み返した。

 

最近では本棚の奥にしまったままになっていたが、コロナ禍でおうち時間が増えたこともあり、約20年ぶりに読み返してみることにした。

 

 

 

名作は色褪せない。20年前と変わらない感動と笑いがあった。
しかし読み進めていくうちに、高校生の頃とは違う感動がこみ上げてくる。

 

 

浅倉南の恋愛テクニック、すごすぎない?

 

 

作品中で南は、幼馴染の達也、和也兄弟はもちろん、他校野球部のスター選手からも想いを寄せられている。さらに学校中の男子のマドンナ的存在だ。


南の言動に注目しながらこの漫画を読み進めていくと、皆が夢中になってしまうのも頷ける、王道にして最強の恋愛テクニックが随所にちりばめられている。

 

『タッチ』とは、野球漫画のふりをした恋愛指南本ではないかと思うほどだ。

 

私が特に凄いと感じた南の恋愛テクニックを紹介したいと思う。

 

 

 

 

浅倉南の恋愛テクニックその1『強さと弱さの緩急』


南の性格は、明るく前向きだ。そしてかなり気が強い。


面倒くさがり屋でいい加減な達也に対しては母親以上に小言を言っているし、暴言を吐いた野球部の監督に平手打ちを食らわせたこともあるほどだ。

 

しかし、そんな南が新体操の大会に出場する際、応援にきてくれた同級生の男子たちの前で突然弱音を吐きまくる。

 

「ダメみたい……」
「朝起きてここにくる途中もいやでいやで仕方なかった」
「やだな。逃げちゃおうかな」
「きっとメチャクチャになっちゃうもん」
「なんでわたし、ここにいるんだろう」

 

いつもは明るく皆を励ます南からの怒涛の弱音ラッシュに、唖然とする同級生男子たち。普通の女子なら、ここで男子からの慰めの言葉を待つだろう。

 

 

しかし、浅倉南は違う。

 

 

男子たちをじっと見つめたあと、ポロッと一粒の涙を流し「情けね」と言って走り去るのだ。
いつもは超強気な南の見せた超弱気な一面。そして走り去ったことで、その姿はしっかりと男子たちの脳裏に刻まれる。

 

おそらく、達也という存在がなければ、同級生男子たちは皆、走って南を追いかけ彼女を強く抱きしめたことだろう。

 

 

 

 

浅倉南の恋愛テクニックその2『ライバルへの華麗な牽制』


達也は野球部のエースだ。言い寄ってくる女子もかなり多い。

 

なかでも野球部マネージャーの新田由加は、あの手この手を使ってついに達也との映画デートにこぎつける。

 

人づてにそのことを聞いた南は不機嫌になり、達也に対しぶつぶつと文句をぶつける。しかもその直後、「きのうの映画よかったですねえ」と由加が南を挑発するように達也に話しかけてくる。

 

普通の女子ならイライラした気持ちがピークに達し、ギロッと由加を睨みつけるだろう。

 

 

しかし、浅倉南は違う。

 

 

直前まで不機嫌に達也を責めていたとは思えないほど、余裕たっぷりの表情でこう言ってのけるのだ。

 

「恋愛映画じゃ、覚えているのはせいぜい前半の30分までね。ラストシーンのころは熟睡のはずだもん。次からタッちゃんを誘うなら、アクションかコメディーものにすることね」

 

達也のことは何でも知っているとでも言いたげな南のその態度に、由加はくやしそうに持っていたかばんを地面に投げつける。


どんなにはらわたが煮えくり返っていても、ライバルたちの前では一切表情に出さず、華麗にマウントをとってみせる。こんな女子が相手では、大抵の人間は戦意喪失してしまうだろう。

 

 

 

 

浅倉南の恋愛テクニックその3『適度な挑発による刺激』


達也と南の家は隣同士で、物心ついた時からほとんど毎日顔を合わせて暮らしてきた。しかしそのせいで、南は達也からこんなことを言われてしまう。

 

「きっと、近すぎるんだよ距離が……安心しきってるとこがあるんだよな。不安になったり、ヤキモチをやいたり、そういうことをくり返すうちに、だんだん気持ちがもりあがってきて……そういう部分が欠けているんだよ。だから、なかなか関係が、ハッキリ……」

 

幼馴染がゆえに、高校生にして訪れた倦怠期である。


こんな時、普通の女子なら「私のこと好きじゃないの? 距離を置きたいの?」と慌てて関係をはっきりさせようとするだろう。

 

 

しかし、浅倉南は違う。

 

 

「もしタッちゃんがだれかを本気で愛して、それが南のとてもかなわないようなステキな人だったら、南は幼馴染としてちゃんと祝福してあげるからね」

 

そう言って軽く突き放したあと、達也の頬にキスをして去っていくのだ。

 

その後も南は攻撃の手をゆるめない。

南に想いを寄せる他校のスター選手・新田明男のバイクの後ろに乗ったり、入院した新田のお見舞いに毎日病院に通ったり、達也と比較するように新田の話を持ち出したりと、わざと他の男子の存在をちらつかせて達也を挑発するのだ。

 

すると、あんなに余裕綽々だった達也が、新田に対してヤキモチを焼き焦り始める。そして最後には、冒頭の達也からの熱い愛の告白へとつながっていくのだ。

 

 

男子たちは、南の手のひらで転がされている。
女子たちは、南にはかなわないと感じてしまう。


約40年前に描かれたその恋愛テクニックの数々は、野球漫画としての感動同様、全く色褪せていない。

 

すでに読んだことがある人も、ぜひ一度、魔性の女・浅倉南に注目して読み返してみてほしい。
私はこの全26巻におよぶ恋愛指南本を熟読し、私だけのタッちゃんをゲットしたいと思う。

 

 

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自分探しの旅はもう嫌だ!

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私は器用貧乏だ。

 

昔から仕事でも趣味でも、特に苦労することなく要領をつかみ、そつなくこなすことができた。しかしそのせいか、ある程度できるようになるとすぐに飽きてしまう。

料理、編み物、ゴルフ、ウクレレ、着物など、様々な趣味に手を出したが、特技になるほど極めたものはなく、少しかじっただけの浅い趣味が増えていくばかりだった。

仕事においても、最初は飲み込みが早いと褒められてやる気になるのだが、数年も経てば環境や業務に飽きてきて、どこか惰性で働くようになってしまう。そしてそのたびに自問自答が始まる。

 


「私が本当にやりたいことって何だろう。私に向いている仕事って何だろう」

 


大人になってからずっと、長い長い自分探しの旅を続けているような感覚がある。
いくつになっても終わらないその旅は、もしかしたら一生続いて、「結局私のやりたいことって何だったんだろう」と思いながら、旅の途中で生涯を終えるのかもしれない。しかし、出来れば生きているうちに旅を終わらせたい。

そんな悶々とした気持ちを相談すると、友人から一冊の本をすすめられた。
巷で話題になっていたその本のタイトルを聞いたとき、私はこう思った。

 

 

「あー。よくある自己啓発本ね」

 

 

なめてもらっては困る。私はかれこれ10年以上自分探しの旅を続けている。言わばプロの旅人だ。その手の本はかなり読んできた。友人には悪いが、私はその本を手に取るつもりはなかった。

しかしその一週間後、別の友人からまたしてもその本をすすめられる。彼女の部屋に遊びに行ったとき、本棚には大量の自己啓発本が並んでいた。彼女は自己啓発マニアだ。そんな彼女が、その本の凄さを興奮気味に伝えてくる。

 

 

「もしやこれは、ただの自己啓発本ではないのでは……?」

 

 

私はすぐに書店に行き、その本を手に入れた。

家に帰りページを捲ると、驚きの言葉が並んでいた。

 

 

「やりたいことを見つけるために、たくさん行動するというのは間違いだ」
「やりたいことを見つけたとき、運命的な感覚があるというのは間違いだ」

 

 


え? 違うの?

 

 


私が今まで読んできた自己啓発本の多くには、たくさん行動して様々な人やものに触れるなかで、ピカッと光るものが見つかったという著者のエピソードが綴られていた。
私もそんな運命的なものに出会うために、今まで旅を続けてきたと言っても過言ではない。

しかしその本曰く、たくさん行動することで選択肢が増え、やりたいことがますます分からなくなるという。

 

 


確かに……。

 

 

 

私は今まで興味があることには手あたり次第チャレンジしてきた。その結果、浅い知識や経験はたくさんあるのに、どれが本当にやりたいことかわからなくなっている。時間とお金を消費する一方、焦る気持ちは増すばかりだ。

では、どうすればいいのか。
やりたいことを見つけるために一番大切なのは「自己理解」だと書かれている。

 

 


あー……何度か聞いたことあるな……。

 

 

 

私の中で小さな拒否反応が起こる。今まで読んできた本の中にも自分を知ることの大切さを説いたものは数多くあった。しかし、それらを読んだところで、現在の私は自分が何者であるか全く理解できずにいる。結局この本も同じではないのか。

半信半疑で読み進めてみると、そこには今まで読んだどの本とも違う、驚きの自己理解の方法が記されていた。どこが違うかというと、その方法はとにかく「論理的」で「シンプル」なのだ。

夢や希望を思い描くようなものではなく、超現実的に、理にかなった方法で、自分という人間を理解していく。そこには一切の無駄がない。

私はその本を夢中で読み進めた。時間も忘れ、書かれている方法にそってノートに自分の欠片を書き出していく。約5時間かかって、私の自己理解が完了した。

 

 


えーー! ウソでしょ!

 

 

 

そこにいたのは、想像していたのとは全く違う自分だった。おそらくこの本を読まなければ、一生出会うことのなかった自分だ。しかし意外だと思う反面、妙にしっくりくる。
そして自分の欠片で埋め尽くされたノートからは、はっきりと私の「本当にやりたいこと」が浮かび上がってくる。

 

 


うん! これだ!

 

 

 

私はついに、やりたいことを見つけた。しかしまだ、やりたいことを実現するための手段は見つかっていない。私はこれからの人生で、その手段を見つけるために試行錯誤していくことになるだろう。


旅は続くが、今までとは明らかに違う。私の旅には目的地が設定された。
目的地のある旅は楽しい!

 


八木仁平『世界一やさしい「やりたいこと」の見つけ方』
もし目的地のない長い長い旅を続けている人がいたら、騙されたと思って一度読んでみてほしい。