自分探しの旅はもう嫌だ!
私は器用貧乏だ。
昔から仕事でも趣味でも、特に苦労することなく要領をつかみ、そつなくこなすことができた。しかしそのせいか、ある程度できるようになるとすぐに飽きてしまう。
料理、編み物、ゴルフ、ウクレレ、着物など、様々な趣味に手を出したが、特技になるほど極めたものはなく、少しかじっただけの浅い趣味が増えていくばかりだった。
仕事においても、最初は飲み込みが早いと褒められてやる気になるのだが、数年も経てば環境や業務に飽きてきて、どこか惰性で働くようになってしまう。そしてそのたびに自問自答が始まる。
「私が本当にやりたいことって何だろう。私に向いている仕事って何だろう」
大人になってからずっと、長い長い自分探しの旅を続けているような感覚がある。
いくつになっても終わらないその旅は、もしかしたら一生続いて、「結局私のやりたいことって何だったんだろう」と思いながら、旅の途中で生涯を終えるのかもしれない。しかし、出来れば生きているうちに旅を終わらせたい。
そんな悶々とした気持ちを相談すると、友人から一冊の本をすすめられた。
巷で話題になっていたその本のタイトルを聞いたとき、私はこう思った。
「あー。よくある自己啓発本ね」
なめてもらっては困る。私はかれこれ10年以上自分探しの旅を続けている。言わばプロの旅人だ。その手の本はかなり読んできた。友人には悪いが、私はその本を手に取るつもりはなかった。
しかしその一週間後、別の友人からまたしてもその本をすすめられる。彼女の部屋に遊びに行ったとき、本棚には大量の自己啓発本が並んでいた。彼女は自己啓発マニアだ。そんな彼女が、その本の凄さを興奮気味に伝えてくる。
「もしやこれは、ただの自己啓発本ではないのでは……?」
私はすぐに書店に行き、その本を手に入れた。
家に帰りページを捲ると、驚きの言葉が並んでいた。
「やりたいことを見つけるために、たくさん行動するというのは間違いだ」
「やりたいことを見つけたとき、運命的な感覚があるというのは間違いだ」
え? 違うの?
私が今まで読んできた自己啓発本の多くには、たくさん行動して様々な人やものに触れるなかで、ピカッと光るものが見つかったという著者のエピソードが綴られていた。
私もそんな運命的なものに出会うために、今まで旅を続けてきたと言っても過言ではない。
しかしその本曰く、たくさん行動することで選択肢が増え、やりたいことがますます分からなくなるという。
確かに……。
私は今まで興味があることには手あたり次第チャレンジしてきた。その結果、浅い知識や経験はたくさんあるのに、どれが本当にやりたいことかわからなくなっている。時間とお金を消費する一方、焦る気持ちは増すばかりだ。
では、どうすればいいのか。
やりたいことを見つけるために一番大切なのは「自己理解」だと書かれている。
あー……何度か聞いたことあるな……。
私の中で小さな拒否反応が起こる。今まで読んできた本の中にも自分を知ることの大切さを説いたものは数多くあった。しかし、それらを読んだところで、現在の私は自分が何者であるか全く理解できずにいる。結局この本も同じではないのか。
半信半疑で読み進めてみると、そこには今まで読んだどの本とも違う、驚きの自己理解の方法が記されていた。どこが違うかというと、その方法はとにかく「論理的」で「シンプル」なのだ。
夢や希望を思い描くようなものではなく、超現実的に、理にかなった方法で、自分という人間を理解していく。そこには一切の無駄がない。
私はその本を夢中で読み進めた。時間も忘れ、書かれている方法にそってノートに自分の欠片を書き出していく。約5時間かかって、私の自己理解が完了した。
えーー! ウソでしょ!
そこにいたのは、想像していたのとは全く違う自分だった。おそらくこの本を読まなければ、一生出会うことのなかった自分だ。しかし意外だと思う反面、妙にしっくりくる。
そして自分の欠片で埋め尽くされたノートからは、はっきりと私の「本当にやりたいこと」が浮かび上がってくる。
うん! これだ!
私はついに、やりたいことを見つけた。しかしまだ、やりたいことを実現するための手段は見つかっていない。私はこれからの人生で、その手段を見つけるために試行錯誤していくことになるだろう。
旅は続くが、今までとは明らかに違う。私の旅には目的地が設定された。
目的地のある旅は楽しい!
八木仁平『世界一やさしい「やりたいこと」の見つけ方』
もし目的地のない長い長い旅を続けている人がいたら、騙されたと思って一度読んでみてほしい。
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