悩み多き30代OLの日常

のんびりマイペースに日々の生活を淡々と。

コロナ禍の孤独を忘れさせてくれたラジオ

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私の住んでいる福岡県で最初の緊急事態宣言が発令された頃、私は仲の良い友人4人とオンライン飲み会をしていた。

お互いの近況やはまっているドラマの話をして、楽しい時間はあっという間に過ぎていった。

 

「コロナで大変だけど頑張ろうね。おやすみー」

 

夜も深くなり心地よく酔いが回ったところで、オンライン飲み会はお開きとなった。

パソコンの電源を落とすと、一人暮らしのワンルームの部屋は静寂に包まれた。そして私は今までに感じたことのない孤独感に襲われる。

 

次に皆に直接会えるのはいつだろう……それまでずっと私はこの部屋で一人過ごさないといけないのかな……

 

さっきまでの楽しい気分は一変し、寂しさと不安でなかなか寝付けなかった。

 

 

気分転換にラジオを聴くことにした。

 

「和牛のモーモーラジオー!」

 

お笑い芸人の和牛がパーソナリティーを務める番組が流れてきた。深夜の時間帯に2人の声が心地良い。

 

お笑い芸人のラジオというと、番組のコーナーに大喜利のような形式でリスナーがネタを投稿するイメージが強かったが、モーモーラジオは違った。

女性リスナーが多いこの番組に寄せられるお便りは、日常生活で腹が立った話や和牛への相談のような内容が多かった。

 

そして、それに対する2人の回答やアドバイスが、とにかく面白い。さっきまでの沈んだ気持ちはどこへやら、時折始まる即興のミニコントに思わず声を出して笑ってしまった。

 

テレビで見るスマートなイメージとは違い、ラジオで話す和牛の2人は人間臭さに溢れていた。そしてどの言葉にも、リスナーの悩みに真剣に答えようとする誠実さが伝わってくる。

面白い上に誠実……女性人気が高いのも頷ける。

 

 

私の中でモーモーラジオを聴くことが、週に1度の楽しみになっていた。そして次第にこんな気持ちが芽生える。

 

「私もお便り書いてみようかな……」

 

早速ネットでラジオ番組へのお便りの送り方を検索する。

ラジオ番組へたくさんのネタを投稿する人を指す「はがき職人」という言葉があるが、現在はお便りといってもメールが主流だという。

 

メールの冒頭には、ラジオネームを書かなければならない。万が一読まれた時のことを考えると、人と被らない、すぐに自分だと認識できる名前にしたい。

私は生まれてからずっと福岡に住んでいる。そしてチャームポイントは広い額だ。

 

「よし、ラジオネームは“博多のおでこ”にしよう」

 

次に考えるのはお便りの内容だ。

幸いにも、私の周りには一風変わった人が多かったため、書きたい内容はすぐに浮かんだ。しかしその状況を文章にするのは、かなり難しい。

 

登場人物の紹介、腹の立った出来事、和牛への質問。丁寧に説明すると長くなり、簡潔にしすぎると状況が想像しにくい。

番組の放送時間は30分。1通のお便りに割ける時間を考えると、300字程度の文章に、そのすべてを入れ込まなければならない。

 

書いては消し、書いては消し。一文の長さをどれくらいにして、どこに読点を打てば読みやすいか。和牛の2人に読まれることを想像しながら、何度も声に出して読み返した。

 

 

なんとか納得のいく文章が完成し、番組のメールアドレスに送信する。なんとも言えない達成感があった。

しかし1通送ってすぐに読まれるほど、甘いものではない。1回の放送で読まれるお便りは2~3通。和牛の人気を考えると、すぐに読まれる可能性はかなり低い。

 

「さて、次は何を書こう」

 

普段の生活でも、お便りに書くネタを探すことが日課になっていた。職場でモヤッとすることがあっても、良いネタができたと思えば少し気持ちが楽になった。

 

 

2人のトークが聴ける楽しみに、もしかしたら自分のお便りが読まれるかもしれないというドキドキ感がプラスされ、週に1度の放送時間は私にとってさらに楽しみなものになっていった。

 

お便りを送り始めて2か月ほど経った頃、ついにその時が訪れる。

 

 

「ラジオネーム……博多のおでこさん」

 

 

「うわぁー!!!」

 

思わず悲鳴をあげてしまった。心臓がドキドキして、変な汗が出る。

ボケの水田さんが私のお便りを読んでいる。ツッコミの川西さんが私の悩みに答えている。2人のミニコントが始まった。やっぱり面白い!

 

感動と興奮と少しの恥ずかしさで、その日はなかなか寝付けなかった。

 

 

コロナ禍でまだまだ先の見えない状況が続いている。時には孤独や不安に押しつぶされそうになることもある。私たちは日常のささやかな幸せを見つけながら、この苦境を乗り越えていかなければならない。

 

私はラジオという小さな幸せを見つけた。今日もラジオを聴きながら、穏やかな日常が戻ってくるのを静かに待ちたいと思う。

 

 

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ずぼらな私が30万円損して学んだお金の基本

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「だまされた……」

損失は約30万円。私にとっては大金だ。

 

はじまりは、オリエンタルラジオ中田敦彦さんのYouTubeだった。資産運用について語るその動画の中で、おすすめしない金融商品が紹介されていた。

「外貨建て終身保険

個人年金保険

私はギクリとした。

 

数年前「収入が年金のみの無職世帯では、老後の生活に約2000万円の資金が必要だ」と金融庁が発表した、いわゆる老後2000万円問題。

 

漠然とした不安を感じていた私は、当時たまたま知り合った保険会社で働く男性に相談した。

すると彼は「今から積み立てておけば、将来受け取れるお金が増えるし、保険料を払った分は年末調整の時に控除されて税金が安くなるから」と、外貨建て終身保険個人年金保険をすすめてくれた。

 

私は難しい話はよくわからなかったが、物腰の柔らかい彼の言葉を信じ、2つの保険に加入した。

 

 

しかしYouTubeで中田さんが語るこれらの商品の問題点は、その手数料の高さだ。

 

しまい込んだ資料を引っ張り出し、契約内容を確認すると、確かによくわからない様々な手数料が積立金額から引かれている。20年以上積み立てた場合に増えると予想される金額を見ても、とても多いとは言えない。

しかも加入して数年しか経っていないため、今解約するとさらに解約手数料が差し引かれ、戻ってくる金額はごくわずか。約30万円の損失だ。

 

「だまされた……」

 

そんな言葉が私の頭をよぎる。

しかし、それは違う。彼は自分の職務を全うしたまでだ。問題は私が自分の頭で考えず、彼にすべての舵を取らせてしまったことだ。

 

振り返ってみれば、今回に限ったことではない。私はこれまで判断や決断を迫られたとき、どこか人任せにしてしまうところがあった。

これではいけない。私は自らの手で舵を切ることを決めた。

 

まずは保険を解約した。30万円あったら何ができただろうと考えずにはいられないが、長い目で見れば、このまま保険料を払い続けていく方が損失は大きくなる。高い授業料だったと考えよう。いや、高すぎる……。

 

次にお金に関する本やサイトを読み漁った。

様々な情報や意見に出会ったが、共通して言えるのは、お金の基本はたった3つだということだ。

 

 

まず1つ目は、お金を把握すること。

つまり自分の収入と支出を知ることだ。

収入を知るためには、会社からもらう給与明細をしっかりと見なければいけない。

給料からは保険料、年金、税金などが引かれている。その金額はかなり大きい。そのことを把握するだけでも、どうにかこの金額を抑えることはできないかという気持ちが湧いてくる。

 

そして支出については、家計簿アプリで管理する。

私はかなりのめんどくさがりだが、最近の家計簿アプリにはレシート読み取り機能がついており、カメラで読み取れば自動的に家計簿をつけてくれる。銀行口座やクレジットカードと連携して管理することも可能だ。こんな便利なアプリを作ってくれた頭の良い人たちに、心から感謝したい。

 

家計簿アプリで月の残額を意識しながら生活するだけでも、お金の使い方はかなり変わった。衝動買いが減り、計画的にお金を使うようになった。

 

 

2つ目は、お金を貯めること。

ずぼらな私はこれが苦手だ。あると使ってしまう。

まず実践したのは、先取り貯金だ。給料が振り込まれたら、毎月一定の金額を別口座に移す。もちろん家計簿アプリにも、その分を差し引いた額を収入金額として登録する。

 

すると不思議なことに、いつも給料日前はカツカツだったはずなのに、初めからないものだと思えば、案外その金額の中で生活できている。少しずつだが貯金もたまった。

今までいかに不要なものに、ダラダラとお金を使っていたのかがわかる。

 

 

そして3つ目は、お金を増やすこと。

その方法は、投資だ。私は今まで、投資なんて自分とは無縁のものだと思っていた。リスクが怖いし、何だか難しそう……。そう思って手を出せずにいた。

 

しかしNISAやiDeCoなどの制度を利用すれば、初心者でも少額から低リスクで投資を始めることができる。iDeCoは生命保険よりも節税効果が高いし、NISAであれば100円から始められ、カードなどの貯まったポイントで投資することも可能だ。

 

書店に行けば私でも理解できる入門書が山ほどあったし、YouTubeにも解説動画がたくさん上がっている。制度やリスクをしっかりと理解することで、投資に対する不信感もなくなった。

 

そして次第に、老後こういう暮らしをするためには、今からいくら貯金をして、いくら投資に回せばいいのかと、人生を逆算して考えるようになった。

 

 

一番怖いのは、自分がどこに向かって進んでいるのかわからず、漠然とした不安を抱えて過ごすことだ。

お金について勉強すれば、漠然とした不安は、はっきりとした目標や目的に変わる。

 

大切なのは誰かの言葉を鵜呑みにするのではなく、自分の頭で考え、決断すること。自分の人生の舵を取れるのは、自分だけなのだ。

 

 

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深海で暮らす生物の過酷な恋愛事情

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私の住む福岡市は、女性の未婚率が全国トップクラスだ。

 

男性比率の低いこの土地で、独身女性たちは日々ライバルとしのぎを削っている。戦に勝つべく、自分磨きを怠らない女性が多いためか、福岡市は美人が多い都市としても知られている。確かに街を歩けば、若くてキレイな女性で溢れている。

 

おそらく福岡市は、日本一の恋愛激戦区だ。

 

かくいう私も、35歳独身。

年齢とともに、年々減っていく合コンや友人からの紹介話。追い打ちをかけるように、新型コロナウイルス感染拡大による外出自粛。普段の生活で、異性との出会いなど皆無だ。

しばしば独身の友人と集まっては、現状を嘆いている。

 

しかし、この福岡市の比ではない、過酷な環境での恋愛を強いられているものたちが存在する。

 

深海で暮らす生物だ。

 

水深200メートル以上。太陽の光がほぼ届かない暗くて冷たい深海では、エサとなる植物が育たないため、住んでいる生物は少ない。それゆえ深海でオスとメスがたまたま出会う確率は、かなり低い。

では、どうやって深海の生物たちは子孫を残してきたのか?

その答えは、過酷な環境に適応するために進化を遂げた、摩訶不思議な生態にある。

 

例えば、欧米でトカゲ魚と呼ばれている不気味な顔をしたシンカイエソは、「雌雄同体(しゆうどうたい)」といって、精巣と卵巣の両方をもっている。これは、たまたま同類のシンカイエソに出会ったとしても、同性だったため繁殖ができないということを防ぐために進化したとみられている。

 

なんとも合理的だか、いかに深海での出会いが希少であるかがわかる進化だ。シンカイエソから見れば、ドアを開けて外に出れば異性だらけの福岡市など、夢のような環境なのかもしれない。

 

その他にも、体がスケルトン状になっていて、内臓まで透けて見えるオニアンコウという魚のオスは、メスを見つけると体に噛みつき寄生する。

 

……私の頭の中を「ヒモ」という言葉が駆け抜けていった。

 

しかし、このオニアンコウのヒモレベルは、人間の常識を超えている。

メスに噛みついたオスは、自分の血管をメスにつなぎ、生きるための栄養や酸素をすべてメスからもらうようになるのだ。こうして最上級のヒモとなったオスは、その後の人生を繁殖のためだけに生きる。そして繁殖を終えたオスは、やがてメスに吸収され、最後にはメスの一部になってしまうのだ。

これはもう自分の一生を1匹のメスに捧げる、オニアンコウの純愛といってもいいのかもしれない。

 

しかし人間界においては、オニアンコウのような男性には、十分注意が必要だ。

 

純愛といえば、深海には究極の夫婦愛が存在する。

ドウケツエビという小さな深海エビのカップルは、カイロウドウケツという表面が網目になっている円筒状の生物を見つけると、2匹で中に入り同棲生活を始める。

 

多くの場合、1つのカイロウドウケツに入っているのは、ドウケツエビ1組だけ。しかもドウケツエビは次第に大きくなり、カイロウドウケツの網目を通れなくなる。

つまり2匹のドウケツエビは、誰にも邪魔されることなく、病める時も健やかなる時も、カイロウドウケツの中で一生を過ごすことになるのだ。浮気も離婚も許されない、究極の夫婦の形だ。

 

窮屈にも思えるが、エサの少ない深海で、カイロウドウケツからエサをもらえ、敵からも身を守れるこの住まいは、ドウケツエビにとっては最高の環境なのだ。

 

ちなみに、カイロウドウケツという名前は、夫婦が仲睦まじく添い遂げることを意味する「偕老同穴」という中国の故事成語にちなんで名づけられている。

 

しかし、もし人間界で、「結婚したらカイロウドウケツの中で一生暮らす」という法律ができたとしたら、どれくらいのカップルが仲睦まじく添い遂げることができるのだろう。たとえパートナーとケンカをしても、共同生活でストレスが溜まっても、一切逃げ場はないのだ。日本の生涯未婚率は、さらに高くなるような気もする。

 

このように、深海には様々な生物が暮らしている。

暗くて冷たい、エサも少なければ、パートナーに出会う確率も低い。そんな過酷な環境に適応するべく、深海の生物たちは進化し、たくましく生きている。

 

一方、私たち人間の暮らす世界では、新型コロナウイルス感染拡大により、自身を取り巻く環境は大きく変化した。

朝起きて会社に行く。休みの日に友人とイベントや旅行に出かける。街に出て異性と知り合う。そんな当たり前のことができなくなり、対面でコミュニケーションを取ることさえ難しくなった。

 

しかし「環境が悪い! コロナのせいだ!」と嘆いてばかりはいられない。コロナ“だけど”出来ること、コロナ“だから”出来ることを探し、環境に合わせて進化していかなければならない。深海で暮らす生物たちのように。

 

私は今日からダイエットを始める。並みいるライバルに打ち勝ち、偕老同穴な夫婦になれる相手を射止めるための、第一の進化だ。

 

 

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人見知りという免罪符を捨てる

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人と話すのが苦手だった。

 

特に初対面や付き合いの浅い人と1対1で話すときは、何を話したらいいのかわからないし、沈黙が怖い。無理やり笑顔を作り、必死で間を繋ぐ。

 

どうしよう、話が続かない……何か質問をしなければ……なんだか相手もつまらなそうな顔をしているぞ……あぁ、早く帰りたい!

 

終わる頃にはヘトヘトだった。

「では、また」という言葉で別れても、その「また」が訪れることは、ほとんどなかった。

 

 

私は次第に、この言葉を使うようになる。

 

「わたし、人見知りなので」

 

人見知りだと宣言してしまえば、うまく話せないことも、話が続かないことも許されるような気がした。私は、人見知りという免罪符を手に入れた。

 

 

免罪符を使えば、私が無理に話そうとしなくても、相手が話を振ってくれたし、面白い話をして盛り上げてくれた。

 

たとえ盛り上がらなかったとしても「わたしは人見知りだから仕方ない」と思えば、家に帰ってクヨクヨ悩むこともなかった。

 

しかし、「わたしも人見知りなんです……」と相手から同じ免罪符を出されたとき、私は免罪符を受け取る側の気持ちを、初めて知ることになる。

 

私から喋った方がいいのかな? でも色々質問されるのも嫌かもしれない……盛り上がらなかったらどうしよう……はぁ、気をつかうなぁ……

 

私は、はっとした。今まで何も言わず私の免罪符を受け取ってくれていた人たちは、こんな気持ちになっていたのかと、申し訳なく思った。

 

 

そんな私を変えたのは、一冊の本との出会いだった。

「聞く力-心をひらく35のヒント-」

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言わずと知れた、阿川佐和子さんのベストセラー本だ。

 

聞く力より、話す力をつけたいんだけどな……そんなことを考えながら、世間で話題になっているその本を、どこかミーハーな気持ちで手に取った。

 

ページを捲ると、阿川さんがインタビュアーとしての経験から得た、相手の話を引き出すための極意が、さまざまな著名人とのエピソードとともに綴られていた。

 

特に印象に残ったのは、阿川さんがインタビューをする際、事前に用意する質問は3つまでにしているという話だ。

 

たくさんの質問を用意して、ひたすら相手にぶつけるだけでは、連続性のないインタビューになってしまう。

 

1つ目の質問をしたら、その質問に対する相手の答えの中から次の質問を探す。本気で相手の答えに耳を傾ければ、おのずと疑問がわいてきて次の質問が見つかり、チェーンのように会話が続いていくという。

 

目から鱗だった。

 

私は沈黙を恐れるあまり、少しでも間を埋めようと相手に矢継ぎ早に質問していた。そのくせ次にする質問のことばかり考えて、大して相手の答えを聞いていないので、ひどいときには「それさっきも聞かれたけど……」と言われてしまうことまであった。

 

これでは会話が続かなくて当然だ。

 

そして、本を読み進めていくうちに、阿川さんと私の決定的な違いに気づくことになる。

 

阿川さんはインタビューをする相手に対して、常に興味津々なのだ。

 

テレビの対談番組で、阿川さんがインタビューをしている姿を見たことがある。1対1で向かい合い、阿川さんの質問にゲストが答える。BGMもない静かな番組だったが、こちらにも伝わってくる楽しい雰囲気は、間違いなく阿川さんが作り出しているものだった。

 

ゲストの答えに対して、「なんで?」「どうして?」「それで、それで?」と少し前のめりになって聞き返す阿川さんは、優秀なインタビュアーというより、母親にもっと楽しいお話を続けてくれとせがむ、好奇心旺盛な子どものようだった。そんな阿川さんの姿に、ゲストも嬉しそうに話を続ける。

 

私に足りていなかったのは、相手をもっと知りたいという気持ちだった。インタビューでも日常会話でも、意識を向けなければいけないのは、自分自身ではなく、目の前にいる相手なのだ。

 

私は免罪符を捨てた。

 

人見知りという言葉は使わず、笑顔で「少し緊張しています」と伝えるようにした。

相手の話にしっかりと耳を傾け、楽しそうに相槌をうつ。自然と次の質問が浮かんだ。深く話を聞いていくと、その人の意外な一面が見えてきたし、今まで知らなかった世界に興味を持つこともできた。

 

楽しい。人の話を聞くことは、こんなに楽しいことだったのか。初対面の人に会うことを億劫に感じていた過去の自分が、噓のようだ。知らない人であればあるほど、新しい発見があって面白い。

 

私が楽しそうに話を聞いていると、相手も楽しそうに続きを話してくれた。

相手が楽しそうに話していると、不思議と私も自分のことを話したくなった。

聞く力をつけることは、話す力をつけるための第一歩なのかもしれない。

 

 

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私は辛いことがあると着物で街を歩く

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「お綺麗ですね」

見ず知らずの女性に声を掛けられた。私は「ありがとうございます」と言って、笑顔で小さく会釈をする。

この女性が褒めたのは、私の顔ではない。着物だ。

私は辛いことがあるといつも、着物で街を歩く。

 

私が着物に興味をもったのは、祖母の影響だ。

祖母は小料理屋を営んでいた。カウンター5席しかない小さな店だが、かれこれ20年以上、毎日着物を着て一人で切り盛りしていた。

母は「水商売なんて……」と祖母の仕事をあまり良く思っていないようだったが、私は着物を着て、料理をしたり、常連さんと楽しそうにおしゃべりをする祖母を、かっこいいと思っていた。

 

一度、祖母に聞いたことがある。

「どうして着物を着るの?」

確かに見た目は綺麗だが、洋服に比べると着るのも脱ぐのも大変そうだし、洗濯機で洗うこともできない。何より着物も帯も高額だ。祖母にとってはマイナス面の方がはるかに大きいように感じたからだ。

 

祖母は少し笑ってこう答えた。

「着物はね、おばあちゃんの戦闘服なのよ。着物を着ると、背筋が伸びて、よし、仕事するぞって気持ちになれるの。それにね、いつもとは別人になれるでしょう」

 

確かに、着物を着て店先に立つ祖母は、家でスウェットを着てくつろぐ、のんびり者のおばあちゃんとは別人だった。

クヨクヨ悩む常連さんに厳しく喝を入れることもあれば、うまくいった時には自分のことのように喜び、気前よくお酒をサービスしていた。

悲しい話は豪快に笑い飛ばし、「まぁそんなことより、これ食べて」と頼んでもいない料理を、無理やり食べさせたりもしていた。

どんよりとした空気を抱えて店に入ってきた人も、祖母と話をすると、不思議とどこか吹っ切れたような明るい顔で帰っていった。

小さな店は、いつも満席だった。新しいお客さんが来ると、何も言わなくても常連さんが気を利かせて席を空ける。年上か年下かなんて関係なく、カウンターに座った5人が、祖母を中心に皆でおしゃべりをする。そんな温かい店だった。

店に来る人たちは皆、祖母のことを「お母さん」と呼び、本当の母親のように慕っていた。

 

そんな祖母が末期の胃がんだと聞かされたのは、私が23歳の時だった。

店にも立てなくなり、心配した常連さんたちが見舞いに訪れたが、祖母は会おうとしなかった。

母は「せっかく皆さん来てくれたのに……」と申し訳なさそうにしていたが、私には祖母の気持ちがわかるような気がした。

着物を着て店先に立つ祖母は、強くて優しい人だった。お客さんを励まし元気にすることが、何よりの生きがいだった。そんな祖母が弱った姿を見せ、皆に気を遣わせてしまうことは、祖母にとっては苦痛だったのだろう。お客さんの前では、いつでも着物を着ていたいのだ。

私は日に日に弱っていく祖母の姿を悲しく思いながらも、最期まで信念を曲げない祖母のことを、やっぱりかっこいいと思った。

 

葬儀には多くの人が訪れた。

祖母より年上の年配の方から、私より年下の若者まで、とにかくたくさんの人が、祖母の死を悲しんだ。

話を聞くと、そのほとんどが店を訪れたことのあるお客さんだった。人づてに祖母が亡くなったことを知り、駆け付けてくれたという。

「お母さんには、とてもお世話になって……」

皆、口を揃えてそう言った。

たった5席のあの小さなお店で、祖母はどれだけの人を励まし、元気づけてきたのだろう。

 

葬儀が終わると、皆で祖母の思い出を語り合った。

そこには私の知らない祖母がたくさんいたが、どの話にも強くて優しい着物を着た祖母がいた。

悲しい顔をして葬儀に訪れた人たちは、思い出話をすると皆、笑顔になり、どこか吹っ切れたような明るい顔をして帰っていった。

亡くなってもなお、皆を笑顔にする祖母は、やっぱりかっこいい。

不謹慎かもしれないが、今日は白装束ではなく、一番きれいな着物を着させてあげたかったなと思った。きっと天国で祖母が見ていたら、「そうだ、そうだ」と私の意見に賛成してくれただろう。

 

遺品を整理していると、たくさんの着物が出てきた。

着物に興味のない母は処分しようと言ったが、私はそのほとんどを引き取った。

シミがついて汚れているものもあったが、祖母がお客さんとの話に夢中になって、うっかり付けてしまったシミだと思うと、それさえも愛おしく思えた。

羽織ってみると、祖母の匂いがした。店先に立つ、あの頃の祖母の匂いだ。

祖母と私は背丈が同じくらいだったので、サイズもぴったりだった。なんだか祖母が、自分の代わりに着てくれと言っているような気がした。

 

私は今日も、着物で街を歩く。いつもとは別人だ。

背筋を伸ばし、強くて優しい祖母と一緒に、街を歩く。